原点を振り返る23

こんにちは!ジーンズソムリエ&Brand directorの雑賀です。

OEM中心の企画開発

いよいよ、人生初のに異動・復帰が決まりました。
本社ビルで唯一、異国情緒漂う23階でエレベーターを降りたら・・・結構普通でした(笑)

EMPは大きく3チームで構成されていて、AP(アパレル)チーム・雑貨チーム・アクセサリーチームに分かれていました。売上構成比的には4:4:2といったところでしょうか?
とにかく雑貨比率が異常に高いブランドでした。
店舗数は17店舗でした。全て直営店。

アパレルチームで私が初めてのデザイナー採用。本社採用はMD、生産、デザイナーの3人だけ。後は販売員でバイヤー面接をクリアした3人のみ。

『何だ??ここは?????このメンバーでどうやって企画しているの??』

 

 

ここでは【OEM=original equipment manufacturer】という製造方法で、発注元企業の名義やブランド名で売られる製品を納入先が製造するという、最先端の手法で企画開発をしていました。

製造生産だけではなく、取引先の商社やメーカーのデザイナーがデザインを提案してくれるのを、上手くチョイスして店頭に並べていくというやり方です。

ずっとプレタポルテのデザイナーだった私にとっては、このシステムは衝撃が大き過ぎてしばらく理解出来ませんでした。

『服の専門知識のないバイヤーが何故仕入れるのか?』

申し訳ないけど、メーカーさんから提案される服の仕様やサイズ感・パターン等、私の目から見たら問題だらけ。こんな縫い方したらあかんやん!!っていう仕様を見て、もう我慢できなくなり、MDに

私   「こんなん店頭に並んでいいんですか?仕様めちゃめちゃですけど。」
MD  「カジュアルブランドやから、雰囲気重視やねん。そんなガチガチにせんといてくれ。」
私 「でも、マジで変ですよ。」
MD  「そしたら、カジュアルさは残して修正してくれ。落としどころを決めてくれ。」

と言われました。

 

確かに・・・。
このカジュアルさや可愛い雰囲気は、私が今までしてきた物作りとは全く違います。
そこのルールやテイストをEMPで出すと、違和感が出ます。でも、このままでは酷い。もう少しきっちり作りたい!と思いました。

 

「俺がこのEMPのテイストを作って来たんだ!!」というMDと、「OEM先に物作りするのにコスト重視で手抜きや簡素化させたくない!!」という私は、最初は正面衝突・大喧嘩もしょっちゅうしました(笑)
でも、お互い真剣にBRANDの事を大切に思っている事は理解してました。

 

毎日毎日商談を重ねる事で、OEM先とも信頼関係が出来てきました。

そして、ようやく悟りました。

EMPでは、自分が絵を描いても仕方ない。いかにOEM先の特徴を把握し、得意分野で協力して貰うかが大切で、それが企画開発なんだという事を。

 

 

OEM先の特徴を掴んで適材適所に配置

これまでの私は、デザイナーとしての変なプライドだけで物作りしていました。
だから、OEM先の提案に酷評するばかり。何の役にも立たない人材だったと思います。
しかし、OEM先の誠意や努力を見て、ようやく受け入れる事が出来ました。そして、信頼関係も生まれ、OEMで企画開発するEMPでの私しか出来ない本当の役割を見つける事が出来ました。

MDとも意気投合した時、色々ありまして…(^^;;私がMDの仕事を引き継ぐ事になりました。
OEM先の商社・メーカーをテイスト分別し、そこから更にアイテム分別し、各バイヤーを優秀なメーカーには専属担当を付けました。

 

毎週飛ぶように売れる、というか、売れなければならない戦略商材は私が仕込む事になりました。値ごろ感のあるTOPSが大人気だったので、そこで売上の6割は取っていました。だから絶対売れる商材をずっと開発し続ける必要がありました。

これは、物凄いプレッシャーでした。

毎日、市場に出て競合ブランドを徹底解剖したり、商社やメーカーと打ち合わせしてサンプル作成して貰ったりと並大抵ではありませんでした。それに、今度はどの品番を強化するか?どう打ち出すか?など、企画戦略会議が週次業務があるので、その資料も作成しなければいけません。

 

でも、そこまで片時も休まず店頭の事を考えていると、感覚は研ぎ澄まされていき、狙い通りの売れ行き。

 

気付いたら、EMPは100店舗を超えるマンモスブランドに成長していました。

 

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