原点を振り返る17

ジーンズソムリエ&Brand directorの雑賀です。

人生最大の分岐点

このシリーズもいよいよここまで来ました。昨年から少しずつ書き綴ってようやく折り返し地点です。この激動のアパレル業界と自分が歩んできた道をリンクさせる事で、卸事業→SPA事業→ネット通販事業と移り変わっていく時の事を振り返る事で、ちょっと先を読む大きなヒントが隠れているかもしれません。
では、その人生最大の分岐点とは?
それは、「結婚」です(笑)しかも社内結婚、同じブランドの6年先輩と電撃結婚しました。その馴れ初め等はここでは割愛致します。結婚してすぐに妊娠!同時まだ社歴4年目、27歳でしたので異例のスピードでした。

 

同期の中でもダントツの1位(笑)あ、1人入社式前に結婚したイケメンがいたから2番目です~。とにかく結婚出産からは縁遠そうな私がこんな事になったので、まあまあニュースになりました。

妊娠初期はつわりが酷く、仕事どころではありませんでした。最終的には水も吐いてしまい点滴入院。体重は38㌔まで落ちて鶏ガラみたいな身体になりました。

専門店vs百貨店

中期に入って体調も回復した頃、期中(現物)チームのデザイナーに復帰しました。その頃で、初期展と期中チームの占める型数の割合で7:3〜6:4。かなりのスピードで期中企画が拡大しました。

 

それは、やはり世の中百貨店SPAブランドが急激に増えて、トレンド要素のあるデザインが圧倒的な支持を得ていたからだと思います。アンタイトル・オゾック・イネド・23区…等、OL層を中心としたキャリアブランドがアパレル業界の中心的存在となっていました。

 

この頃の40代以上の女性は洋服を行きつけの専門店で購入する事が多く、その地域独占のコミュニケーションが取れていました。なので、婦人服のオーナーは顧客の好みを把握し、好みの洋服を仕入れてお薦めしていました。

 

しかし、キャリア層になると百貨店で流行りのブランドで洋服を購入する様になりました。雑誌やTVCMで打ち出されたトレンドは影響力も大きくなって、スピードを競うようになりました。

 

卸事業とはいえ、トレンドを加味したデザインや初期展で抜け落ちたアイテムをフォローする必要がありました。

 

どんどんLT(lead time)が短くなっていく事を肌で感じながら産休に入りました。
そして、無事長男を出産。半年後、またCORDIERに復帰しました。

 

 

続く。