原点を振り返る28

こんにちは!ジーンズソムリエ&BrandProducerの雑賀です。

精度を上げる仕組み作り

無事、息子は念願の小学校に合格しました。

この学校は、特殊な校風で、親参加型の教育方法。最低でも月一回は学校に行かないといけません。それが合格条件でもありましたので、欠席出来ません。

という事は、1年に12回早退しないといけないって事です・・・。それは絶対厳しい!

いや、出来るかもしれませんが、周りの人に迷惑をかけるので、早退はしたくありませんでした。

 

一方、仕事の方では、色々考えさせられる事がありました。

EMPは、OEM95%のブランドです。だから、自ブランドでの生産背景はなく、仕入れたいアイテムの優秀なOEMメーカーをいかに上手く探すか?が売上に繋がります。

有り難い事に、EMPは協力的なメーカーに助けられて、OEMでもオリジナル商品を開発する事が出来ました。勿論、ロットが大きいというのもありますが、S/Aランク(発注量が多い強化商品)はほぼ100%オリジナル商品になっていました。

 

それが実現したのは、メーカーとの連携プレイで、素材をキバタ(染める前の状態)でKEEPさせて貰う事が出来たからです。

ジャージPOでは30/のT/R天竺(ポリエステル・レーヨン)
スカートはシフォン
シャツはインド綿
・・・etc、比較的つぶし易い素材を積みました。

T/R天竺はポリエステル65%、レーヨン35%なので、熱に強く、プリーツ加工も出来ますし、染め分けが出来るので、杢調にも染めれます。

シーズン前にトレンド情報を基に、若干トレンド性のある売りやすいデザインを何点かサンプル作成し、それを実験的にSランク店舗で店頭に並べ、売れ行きをみます。
それで、順調に売れたら大量発注!・・・というヒット率を上げる為の仮説が作れるようになりました。

 

メーカーとの取り組み『韓・中ライン』

ジャージ製品が売上の約70%を占めるブランドだったので、ジャージの開発は真剣そのもの。抜け落ちがないか?店頭展開はストーリー性はあるか?等、全体感から1商品の細かいディテールまで、細かくチェックしていました。

メーカーの中でも、本当に親身になって一緒に開発してくれる営業担当者もいました。
その営業・Iさんに

<私>「ここにピンタック8本入れれます?」
<Iさん>「大丈夫ですよ。」
<私>「途中止めは出来る?」
<Iさん>「ん~・・・韓国ではやった事ないです。」
<私>「てか、韓中ラインってどうなってるの?」
<Iさん>「要は、韓国でデザインを決定して、それを中国の工場で生地~縫製までします。」
<私>「それなら、なんで韓国?」
<Iさん>「雑賀さん、一緒に韓国出張しませんか?」

・・・という訳で、2泊3日で韓国出張が決定しました。

当時は、韓国ドラマ「冬のソナタ」が大流行!ヨン様が大人気の時期でした。
でも、今みたいに韓国ツアーもまだなく、韓国事態が謎めいていました。

私は言った事ない場所に行くのが大好きなので、そりゃ~嬉しかったです!

しかし!!!!!実際、自由時間なんて全くなく、朝から晩まで商談。それから食事でホテルに着くのは朝の4時~!(笑)

 

韓国メーカーは、韓国の大きな繊維街「東大門市場」で生地を買い、韓国内で縫製する《韓・韓ライン》と韓国で買った生地を中国でリプロし、中国で縫製する《韓・中ライン》の2通りの生産が可能です。


当時はまだ、中国内の素材は品質が悪くて使えませんでした。
韓国の素材は情報が早く、コレクション終了直後に、トレンド候補の素材や柄物が仕込まれます。日本では、試刷りして物性試験して・・・と色々工程を踏まなければ展開出来ませんが、韓国はその点早く、すぐに使えてしまう夢のような国でした。
だから、全国から韓国素材を求めてデザイナーが来韓していました。

韓国の、国を挙げてトレンドを追うスピードとエネルギーに圧巻でした。

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私は韓国メーカーが、EMPの為に収集してくれた生地だけでは物足りず、自分の目と足で東大門で生地を探したいと御願いしました。
当時はまだまだ治安が悪いので、メーカーは何かあったら困ると首を縦に振りませんでしたが、韓国メーカーも同行し、大勢で群れて行くのならと渋々OKしてくれました。

 

そして、めでたく韓国出張初日は東大門市場に行ける事になりました!!!

朝一、関空発の便で韓国入りして、仁川空港から東大門に直行!それで何とか13時に到着。それから市場の1階に沢山ある焼き魚定食屋さんで軽くランチ。これが、店先で七輪で焼いてるので美味しいんです!!で、16時頃まで市場で素材のスワッチを集めて、韓国メーカーに行って収集した生地でサンプル依頼。

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かなりハードでしたが、よりスピーディにトレンドを取り込めるし、メーカーやその先の韓国メーカーともしっかりブランドの意志を伝え、打ち合わせ出来ました。

そして、この出張を通して、SC立地の物作りが海外中心でないとコストが合わない理由が良くわかりました。

 

この時期は【スピード命】の企画。SCブランドはほぼ、この韓・中ラインでの物作りが中心となっていきました。

 本来なら、アパレル会社であるワールドが自社で生産するところを、他社に丸投げて している事も複雑でした。

 「これからどうなるのかな…?小売屋みたいになってるな…。」

 という不安もありました。