原点を振り返る②

入社前の試練

まさかの阪神・淡路大震災

学生時代はバブル全盛期、そして就職活動時はバブル崩壊・・・。大変厳しい入社試験となりました。総合職も減ったけど、専門職は神戸本社でデザイナ―4人、パタンナー5人と狭き門でした。何とか勝ち抜いて、めでたく採用決定!長年の夢が叶いました。それが1994年9月。

 

それから、年が明け、1995年1月17日明け方・・・。いきなり大きな音と揺れが起き、部屋はぐちゃぐちゃ。初めて命の危険を感じました。

その時、私はまだ大阪に住んでいましたが、震度7でしたので、それはそれは激しく揺れました。ニュースで震源が神戸方面であること。そして、変わり果てた三ノ宮の映像を見て愕然としました。

学校では、噂が噂を呼んで、「ポーアイは沈んだらしい。」「ワールドのビル斜めになってるらしい。」等、想像したくない情報がたくさん飛び交っていました。

ポーアイの様子が心配で心配でたまらなかった私は、「うじうじ考える位なら、翌朝自転車で行こう!!!」と決意!

がたいのいい同級生男子を2人引き連れて神戸へ行く計画を練りました。

そしたら、その夜、ワールドの人事部の方から自宅に電話があり、無事を知らせて下さいました。震災から一週間、ずっと心配と不安と恐怖しかありませんでした。

「良かった・・・。」安心したら涙が止まりませんでした。

 

それから一か月経った頃、書類提出の為、ポートアイランドの本社ビルに行く事になりました。その時は、JR神戸線の住吉~六甲道間ががれきの山で運行出来ない状態だったので、そこは代行バス。そして、ポートライナーの線路も崩壊していたので、そこからも代行バス。しかも長蛇の列。

大阪駅からポートアイランドまで、ざっと片道4時間はかかりました。

 

『これは、通勤無理だな・・・。』

 

3月になっても、状況は変わらなかったので、三ノ宮駅近辺で一人暮らしする事にしました。

三ノ宮は、まだ酷い状態で、がれきの山があちこちにあるし、道もガタガタ。余震もしょっちゅうある。そんな中で初めての一人暮らし・・・不安で一杯なはずなのに、早く先輩たちとあのビルで仕事したい!っていうワクワクの方が強かった。

 

恐怖の新人研修

その震災の後、サリン事件発生・・・。ニュースは恐怖の事件で持ちっきりでしたが、3月中旬、予定通り入社前の新人研修が始まりました。確か富士山の麓にある研修所で10日間、その後東京で5日間だったかな?

 

当時は、ラグビー部や野球部も大活躍する体育会系バリバリの社風なので、富士の研修所では、朝はマラソンから始まって、夜遅くまでグループに分かれて、社訓を全員言える様になるまで練習するとか、ファッションショーをする、みたいな事をやってました。

特に社訓は、言えなくて泣き出す子もいれば、余裕かまして練習をしない子もいたり・・・今でもその時の事を鮮明に覚えています!楽しかったな~。

この研修で、色々事件が多く不安だった毎日が全部吹っ飛んで、久々に楽しく過ごせました。そして、男女・職種関係なく、同期みんなすっごく仲良くなりました。

「仲間っていいな~♡最高!」心からそう思いました。だから今でもずっと仲良し。もう退職したから今ではそう会えませんが、会ったら当時のままの会話です!みんな全然変わってないし(笑)

 

そして、ようやく無事に入社式を終え、神戸に戻りました。

配属されたブランドは、私が研修でお世話になった、第一希望でもある<CORDIER>

明日から出勤!新人は毎朝7時に出社して掃除ですが、『何でも喜んでやらせて貰います♡』と、やる気満々、期待で胸がパンパンに膨らんでました。

 

そう。単純な私はこの研修で、ある意味、完全出来上がってたのかもしれませんね~笑

世の中の衝撃的な事件で、不安と恐怖で一杯になってたので、何かに没頭したくなってたのかもしれません。

 

・・・と、ここからは、楽しくも超~ハードな日々が始まったのです。。。続く。

 

↓今はこんなに美しい神戸♡三ノ宮からポートアイランドを撮った写真です。

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